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2017年12月20日

年末年始 2017年12月22日~2018年1月8日は配送業務を停止しております 期間中にご注文頂きました商品は、9日より随時発送いたします。 お客様にはご不便をおかけしますがよろしくお願い申し上げます。

2017年12月19日
近代日本画の第一人者、横山大観(よこやまたいかん)(1868-1958)。生誕150年と没後60年にあたる本年、当館所蔵の大観作品全点を一挙公開するとともに、東京画壇で活躍した画家たちの作品を紹介する展覧会を開催します。

常陸国(ひたちのくに)(茨城)水戸藩士の家に生まれた大観は、1889年、東京美術学校に第1期生として入学し、下村観山(しもむらかんざん)、西郷孤月(さいごうこげつ)、菱田春草(ひしだしゅんそう)とともに、岡倉天心(おかくらてんしん)の薫陶のもと、橋本雅邦(はしもとがほう)らの指導を受けました。1898年には、校長を辞した天心に従って東京美術学校を離れ、日本美術院の創設に参加します。1906年、茨城県五浦(いづら)に移住し、観山、春草、木村武山(きむらぶざん)と同地で研鑽をつみ、天心没後の1914年には日本美術院を再興しました。天心の遺志をついで、生涯にわたり新たな日本画の創造につとめ、国民的画家としての評価を確立した大観。その画業の足跡は、日本・東洋と西洋の文化がせめぎあうなかで、明治以降の日本画が発展していく過程と重なるものであり、大観その人が近代日本画を象徴する存在であるといっても過言ではありません。

大観は当館の創立者・山﨑種二(やまざきたねじ)が最も親しく交流した日本画家のひとりでもありました。本展では、初めて挑んだ水墨画巻《楚水の巻》と《燕山の巻》、《作右衛門の家》をはじめとする代表作や、種二との親交を通じて蒐集された作品などを含む、当館所蔵の大観作品全40点をご紹介します。当館の大観コレクションを一堂にご覧いただくのは、本展覧会が開館以来初の機会となります。

さらに、再興院展で活躍した小林古径(こばやしこけい)、安田靫彦(やすだゆきひこ)、前田青邨(まえだせいそん)や、東京美術学校で学び日展で活躍した山口蓬春(やまぐちほうしゅん)、東山魁夷(ひがしやまかいい)など、大観と同様に種二と交流をもった、当館ゆかりの画家たちの作品もあわせてご覧いただきます。近代日本画の発展をリードした大観の芸術を、東京画壇の精鋭たちの優品とともにご堪能いただければ幸いです。
2017年10月24日
日本の山河をこよなく愛し、豊かな自然とそこに暮らす人々の姿を叙情豊かに描き出した川合玉堂(かわいぎょくどう) (1873-1957)。山種美術館では、没後60年を記念し、玉堂の画家としての足跡をたどり、その芸術を紹介する回顧展を開催いたします。

愛知に生まれ、岐阜で育った玉堂は、14歳で京都の画家・望月玉泉(もちづきぎょくせん)に入門。画壇デビューを果たした17歳から同じ京都の幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事しました。1896(明治29)年には23歳で京都から東京へ移り、橋本雅邦(はしもとがほう)のもとでさらなる研鑽を積んでいきます。若い頃から好んで風景を描いた玉堂は、円山四条(まるやましじょう)派の基礎の上に、雅邦が実践した狩野(かのう)派の様式を取り入れ、さらに各地を訪ねて実際の景色に触れることで、伝統的な山水画から近代的な風景画へと新たな境地を拓いていきました。また、官展で審査員をつとめ、帝国美術院会員となる一方、東京美術学校教授、帝室技芸員に任ぜられるなど、東京画壇における中心的な役割を果たし、1940(昭和15)年には文化勲章を受章しています。戦後は、疎開先の奥多摩にとどまって晩年を過ごし、大らかで温かみのある画風を展開させました。

本展では、初期の《鵜飼(うかい)》(1895年、山種美術館)から、大正期の《紅白梅(こうはくばい)》(1919年、玉堂美術館)をはじめとする琳派等さまざまな研究を経て新たな境地を拓いた作品、円熟期の《彩雨(さいう)》(1940年、東京国立近代美術館)、晩年の牧歌的な作風を示す《早乙女(さおとめ)》(1945年、山種美術館)や《屋根草を刈る(やねくさをかる)》(1954年、東京都)まで、代表作を中心とする名作の数々とともに、玉堂の70年にわたる画業をご紹介します。また、少年時代から俳句を嗜み、晩年には俳歌集『多摩の草屋(たまのくさや)』を刊行するなど、句作や詠歌は玉堂の生活の一部となっていました。玉堂の詠んだ詩歌が書かれた作品をとおして、家族や親しい芸術家との交流にもスポットをあて、素顔の玉堂の魅力をお楽しみいただきます。
2017年09月19日
この度、弊社が配送を委託しております配送業者の全国的な送料値上が発表され、
当店におきましても、新料金の適用させて頂く次第と相成りました。

お客様にご迷惑のかからぬよう、発表後も調整を続けて参りましたが、
これ以上のコスト吸収が困難となり、送料値上・送料無料サービス金額設定の引上げなど、
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現在 宅配便(全国一律648円)※10/1より運賃改定の為、全国一律778円(税込)になります。
2017年08月23日
「女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」と語り、生涯を通じて女性たちの姿を描き続けた上村松園 (1875-1949)。

当館創立者で初代館長の山崎種二(1893-1983)が松園と親しく交流したことから、現在山種美術館には、《蛍》、《砧》などの代表作を含む18点が所蔵され、日本屈指の松園コレクションとして知られています。本展では、これら全点を一挙公開するとともに、さまざまな画家たちによって描かれた女性に注目いたします。

松園以外の作品では、浮世絵師たちによる美人画もご覧いただきます。世界で数枚しか現存しないとされる稀少な鈴木春信《梅の枝折り》などにみる華奢な娘の姿、すらりとした八頭身に流行の着物をまとった鳥居清長の美女たち、喜多川歌麿の艶やかで魅惑的な女性。さらに、秘蔵のコレクションを特別に拝借し初公開する、近年人気の高い月岡芳年の代表作《風俗三十二相》では、芳年ならではのウィットに富んだ女性たちの豊かな表情をお楽しみいただきます。

一方、当館の近代絵画コレクションからは、菱田春草や池田輝方による江戸風俗の女性たち、和田英作、鏑木清方、伊東深水らによる古今の和装や洋装の美人、小倉遊亀、片岡球子ら女性画家が描く凛とした女性たちなど、バラエティに富んだ美人画をご紹介いたします。江戸時代から現代にいたる、多彩な美人画をお楽しみください。
2017年07月27日
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2017年06月19日
「健剛なる芸術」の創造を唱え、大衆に訴える作品を描き続けた日本画家・川端龍子(1885-1966)。洋画から日本画への転向や院展脱退、絵画団体「青龍社」の樹立、規格外の大画面制作など、従来の枠組みを破るため常に挑戦を続けました。迫力に満ち、スケールの大きな龍子作品は、発表当時「昭和の狩野永徳」とも評されています。このたび、山種美術館では、龍子の没後50年を経たことを記念し、初期から晩年にかけての名だたる代表作を取り揃え、その画業を振り返る特別展を開催いたします。

1885(明治18)年、和歌山で生まれた龍子は上京した後、当初は洋画家を目指し文展に入選を果たしました。20代で新聞や雑誌の挿絵画家として職を得たことにより、龍子芸術の特徴の一つでもある、同時代の世相を俯瞰的に見るジャーナリズム性を習得します。やがて洋画修業のため渡米するものの、帰国後間もなく日本画家へと転向しました。

その後、独学で日本画を学んだ龍子は、30歳で再興院展に初入選、2年後には同人へ推挙されます。しかしながら、当時、繊細巧緻な画風が主流であった院展において、大胆な発想と筆致で構成された大画面の龍子の作品は「会場芸術」と批判されたことや院展内の軋轢もあり、脱退にいたります。そして、1929(昭和4)年、自ら主宰する「青龍社」を創立、戦時中も展覧会を開催するなど精力的な活動のなか、一貫して大衆のための作品を発表し続けました。

本展では、画業の初期にあたる洋画や挿絵画家期の資料、院展時代の作品、また青龍展第1回展に出品され記念碑的な《鳴門》(山種美術館)と《請雨曼荼羅》(大田区立龍子記念館)、さらに平安時代の装飾経をヒントに龍子の機知と技術が結集した《草の実》(大田区立龍子記念館)、ジャーナリズム精神の発露といえる《爆弾散華》(大田区立龍子記念館)、《金閣炎上》(東京国立近代美術館)、そして会場芸術の象徴ともいえる横幅7.2メートル超の大作《香炉峰》など一堂に展示します。また、『ホトトギス』同人でもあった龍子が1日1句作り続けた俳句に関わる作品や、小さな子どもや家族を慈しむ姿がうかがえる作品もあわせ、真摯で柔和な龍子の内面性が表れた初公開の作品資料類をご紹介します。

大正から昭和の日本画壇において既存の概念を打ち破ろうと強靭な意志を抱き、在野の雄として生涯描き続けた川端龍子の全貌を、12年ぶりとなるこの回顧展でご覧いただきます。
2017年04月18日
春夏秋冬の中でさまざまな表情をみせる自然の姿は、古くから日本人の心を魅了してきました。とりわけ、四季折々に咲き誇る花は、その美しさとともに、詩歌や文学と結びつきながら季節を象徴するモティーフとしても愛好され、現代にいたるまで描き継がれています。その表現には、単独の花、鳥や昆虫との組み合わせ、四季の花を一画面に描く構成など、個性豊かなバリエーションが生み出されました。当館では春爛漫の季節に合わせ、四季の花をテーマとした企画展を開催いたします。日本美術に描かれた梅、桜、牡丹、薔薇、百合、紫陽花、朝顔、菊、桔梗、水仙、椿などの代表的な花を通して、江戸時代から現代までの華麗なる絵画の世界をご覧ください。

江戸時代、琳派の絵師たちは、特に季節の草花や花木を多く題材としました。たとえば、花を風物や鳥と組み合わせて趣きある世界を作り上げた酒井抱一《月梅図》、《菊小禽図》、濃彩で四季の草花を鮮やかに配した鈴木其一《四季花鳥図》。金地、豊かな色彩を用いた装飾的な画面、斬新なデザイン性を持つ琳派の作品は、時代を経ても色あせることのない魅力を放っています。また、近代以降においても、四季の草花100種を植物図鑑の如く細緻に表した田能村直入《百花》、醍醐寺三宝院の華やかなしだれ桜を描いた奥村土牛《醍醐》、扇面という伝統的な形式に季節の花を散りばめた加山又造《華扇屏風》などの作品に、四季の循環や季節特有の自然美を意識した表現を見てとることができます。

本展では、春夏秋冬の花を描いた多彩な作品約60点を展示し、花の絵画で美術館を満開にいたします。さらに、花の特徴や花にまつわる物語・歴史、画家が残した言葉を交え、その魅力をご紹介します。
2017年02月07日
開館50周年記念特別展の最後を飾る本展では、前回展の「京都編」に続き、「東京編」として東京画壇の日本画家の作品をご紹介します。

激しい近代化の波が押しよせた明治時代、画家たちは新しい日本画のあり方を求めて模索していました。 東京美術学校の岡倉天心による指導のもと、横山大観、下村観山、菱田春草らが古典研究を重視しながらも、時代にふさわしい画題や表現を追求していきました。天心によって1898(明治31)年に創設された在野の美術団体・日本美術院は、紆余曲折を経ながらも現在まで続き、小林古径、安田靫彦、奥村土牛、平山郁夫など、数々の著名な画家を輩出しています。一方、1907(明治40)年、初の官営の美術展覧会として始まった文展は、日本画の近代化の上で重要な役割を担い、帝展、戦後の日展へと継承され、川合玉堂、東山魁夷、杉山寧、髙山辰雄など多くの画家が活躍する舞台となっています。本展では、院展と日展の日本画家の作品を中心に、東京画壇の歴史に名を刻む主要な作品を一堂に展示いたします。

当館の創立者で初代館長の山崎種二は、戦前・戦後を通して同時代の画家たちを支援し、直接交流しながらそのコレクションを築いていきました。開館のきっかけは、大観の「世の中のためになることをやったらどうか」という言葉であり、また周年などの節目の年に、画家たちが種二の依頼で揮毫した作品が当館コレクションに加わるなど、50年の歩みの中には、画家たちとの交流の軌跡が残されています。美術の教科書に登場するような名品の数々と、当館創立者・山﨑種二と画家とのエピソードを交えながら紹介し、近代から現代にいたる東京画壇の歩みをご覧いただきます。
2016年12月07日
山種美術館は、山種証券(現・SMBCフレンド証券)の創立者・山﨑種二(1893-1983)が蒐集した作品をもとに、日本初の日本画専門美術館として開館し、2016(平成28)年に50周年を迎えました。それを記念して山種コレクションを代表する日本画を厳選し、本展では京都画壇、続く次回展では東京画壇と計2回にわけてご紹介します。近代日本美術史を語るうえで欠かせない、名画ばかりを取り揃えた「日本画の教科書」とも呼べる特別展を開催します。

明治時代以降、大きく様変わりする環境の中で、日本画家たちは流入してきた西洋画を強く意識し、新時代にふさわしい日本画を模索し続けてきました。なかでも京都は平安時代以来のやまと絵の表現や、江戸時代の円山四条派から続く写生の伝統を受け継ぐ一方、日本美術の発展のため日本初の画学校を開校させるなど、革新かつ組織的に取り組んできました。そのような背景の下、近代を代表する画家であり教育者でもあった竹内栖鳳や、女性初の文化勲章を受章した上村松園など、才能豊かな日本画家たちが数多く誕生しています。伝統を尊重しながらも、新たな要素を次々と受け入れていく京都の柔軟な土壌が、日本画に様々な方向性を生み出したといえるでしょう。

本展では、当館の顔ともいえる竹内栖鳳《班猫》や村上華岳《裸婦図》の2点の重要文化財をはじめ、上村松園、小野竹喬、福田平八郎、山口華楊、上村松篁、上村淳之など明治時代から現代にいたるまで、京都画壇の画家たちの珠玉の名品をご紹介します。

伝統を規範としながら旧来の枠組みを超え、日本画に新局面をもたらした京都画壇の魅力を、50周年ならではのこの機会に是非ご堪能ください
2016年09月30日
山種美術館は、山種証券(現・SMBCフレンド証券)の創立者である山崎種二(1893-1983)が、個人で集めたコレクションをもとに、1966(昭和41)年7月、東京・日本橋兜町に日本初の日本画専門美術館として開館、2016年に50周年を迎えました。種二は「絵は人柄である」という信念のもと、同時代の日本画家たちと直接交流を深めながら作品を蒐集していきました。

明治末から昭和の初期に活躍した日本画家・速水御舟(1894-1935)は早世したため、一つ違いという同世代でありながら種二が実際に会うことはかないませんでしたが、機会あるごとに御舟の作品を蒐集し、自宅の床の間にかけて楽しんでいました。1976年に旧安宅産業コレクションの御舟作品105点を一括購入し、計120点の御舟作品を所蔵することになった山種美術館は、以来、「御舟美術館」として親しまれてきました。このたびの展覧会では、開館50周年を記念し、当館の「顔」ともいえる御舟コレクションに、他所蔵の各時期の代表作品も加え、初期から晩年にいたる御舟の作品約80点でその画業の全貌をふり返ります。

「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」と語り、新しい日本画を目指して努力と挑戦を続けた御舟は、40年という短い人生の中で、一つのところにとどまらず、生涯を通して新たな表現に挑み続けた画家でした。

本展では、研鑽を積んだ修業時代や画塾の兄弟子・今村紫紅の感化を受けた時代から始まり、洋画家・岸田劉生や西洋画、宋代院体花鳥画などへの意識から生まれた写実への追求、代表作《炎舞》以後の新たな日本画への挑戦、さらに渡欧後に取り組んだ人体表現や晩年の水墨による花鳥画に至るまで、御舟の各時期の代表作品を集めて展示いたします。当館の御舟コレクションと他所蔵の御舟の名品が一堂に会する23年ぶりの大回顧展です。